お風呂の歴史

お風呂の歴史

大高酵素の創始者であり、イオンハウスの発明者でもある大高登(オオタカ ノボル)は、昭和10年(1935)に北海道の南西部、発足村に大高酵素研究所を設立しオガクズ利用の酵素肥料の開発に着手します。その過程で「発酵し熱を発するオガクズ堆肥」に足を入れたときの気持ちよさや、近所の神経痛やリュウマチの人々が改善し肌の状態も良くなるのを目の当たりにして、オガクズ酵素温浴に手ごたえを感じます。

昭和30年(1955)に登(ノボル)は帯広へ移住し本格的に酵素農法に取り組むようになり、大高酵素科学研究所を設立し豊頃町で農業指導にあたっていました。その頃は寒冷地での稲作栽培の酵素農法の可能性を探っており、実際に水温を3℃以上上げたともいわれています。オガクズ堆肥の発酵熱を利用して温浴施設への可能性に向けての試行錯誤が始まります。

その後、昭和37年頃札幌に「大高健康クラブ」を立ち上げ、登(ノボル)も中心となり酵素断食を中心に酵素風呂を利用した病気治療の施設が開設されました。その後に大本教の本拠地である京都の綾部に昭和38年(1963)、昭和39年(1964)頃には横浜の鶴見で徳田病院内に治療目的での酵素風呂が開設され、さらに北海道の旭川の断食道場が昭和41年(1966)など続々と酵素風呂が全国で開設されていきました。

当時の酵素療法は、1日600mlの大高酵素原液とオトギリ草を抽出し塩を少し加えた水分のみを摂り、朝晩2回の酵素風呂入浴と腹圧マッサージを受け、これを3週間続けることにより、多くの難病奇病の患者が劇的な変化を遂げたといわれています。

記録によると昭和46年(1971)年当時、全国にイオンハウスが13ヶ所開設しています。

昭和47年(1972)の札幌オリンピックでは、レスリング界の父、当時の参議院議員の八田一郎氏の力添えにより発酵温浴イオンハウスを約5,000万円かけて大高酵素が真駒内会場に建設、当時と比較して物価指数は3倍、大卒初任給は5倍なので、現在の貨幣価値に換算するとおよそ2億円ほどになります。

それまで小樽にあった味噌醤油工場の権利を道南食糧に譲渡し、その醸造施設で昭和50年(1975)最初の特撰酵素「風雪」がつくられました。その施設はその後、昭和54~5年頃に登(ノボル)が倒れてからリハビリのための施設として、現在の前進である小樽イオンハウスがつくられ、平成17年(2005)に営業用イオンハウスとして開業し現在に至ります。

当初のオガクズ発酵の基本は、芋や大豆を煮溶かしたものに、男酵素と呼ばれるデンプン系の酵素である日本酒を5と植物系の女酵素である発酵原液1とを合わせ、その元種を倍々に増やすことで発熱性の枯草菌類を増やすという手法でしたが、現在は発熱菌を純粋培養により管理し、それを利用することで安定した発熱を維持できるようになりました。